子どもの素朴な質問に的確な回答を与えることって、結構難しいですよね。
シンプルな疑問こそ、結構ものごとの本質をついていますし、答えに窮してしまいます。
例えば小さな子どもから「宗教って何?」という質問を受けたとき、大人である私たちは何と伝えてあげれば良いのでしょう。
改めて考えてみました。
そもそも「宗教」って何なの!?
子どもへの適切な回答を考える前に、そもそも私たち自身が「宗教」という概念を理解しているのでしょうか?
はっきり言って、私は不安ですね(笑)
そこで辞書を引いてみたところ、宗教とは「神・仏などの超越的存在や、聖なるものにかかわる人間の営み。古代から現代に至るまで、世界各地にさまざまな形態のものがみられる。」との記載がありました。
なるほど、何となく分かったような…。
しかしこの文面をそのまま子どもに説くわけにはいかなそうです。
難しい説明ではなく「心の持ちよう」を伝えるべき
これは難しいぞと感じつつ、自分は子どものとき「宗教」とどう対峙していたのかな~と思い起してみると、そうでした。私、カトリック色バリバリの幼稚園に通っていたんでした(笑)
別に親がクリスチャンというわけでもなく、たまたまではあるのですが、その後の人生でも中・高・大学とキリスト教学校へ行き、教会にも通っていたので、宗教に対する知識は一般より少しはあるはずなんですよね。
で、幼稚園児だった私がどのように宗教を捉えていたかというと、「この世には目に見えない神様がいる」「神様は優しくて、その存在を信じ、救われている人がたくさんいる」程度の認識を持っていました。
この自分なりの定義に何の疑問も持ちませんでしたし、ちゃんと腹落ちしてたんですよね。
そう考えると、その後の進学の過程で知識的な部分は後からどんどん入ってきましたが、そういう小難しいことは幼児には不要かなって思うんです。
実際、キリスト教の幼稚園でも、「知識は後からいくらでも学べるから、それよりも目に見えないものを感じとり畏敬の念を抱く心や感謝の気持ち、愛することの尊さを伝える」というスタンスが取られているそうです。
ということで、宗教について子どもに聞かれたときは、中途半端に知識へ偏った説明よりも、「心の持ちよう」を教えてあげればいいと思うんですよね。
「世界には目に見えない神様がいて、皆を見守ってくれてるんだよ。だから悪いことはしちゃいけないし、まわりの人たちにいつも感謝しようね」で、子どもは十分くみ取ってくれるのではないでしょうか。
それが、世界にはいろいろな宗教があって、ときにそれが戦争の引き金にもなって~ってなるとまた違ってきますけど、日本における宗教観で、そこまでの説明は不要でしょう。
なかなか難しい問題ではありますが、血のつながった子どもであっても、親とは別の人格ですからね^^;
偏った考えを押し付けるよりは、ものの考え方としての宗教を伝え、子ども自身で反芻してもらえれば十分だと考えます。
この記事へのコメント一覧
この記事へのコメントはありません。