3月31日、フィギュアスケートのアイスショー「スターズ・オン・アイス」が大阪で行われ、出演した本田 真凜選手が「環境を変えて新しくスタートできたら」と話し、練習拠点を米国に移して、ラファエル・アルトゥニアン・コーチの指導を受けることを明らかにしました。
本田選手は「ポスト浅田真央」として脚光を浴びたものの、平昌オリンピックの代表選考に漏れるなど「伸び悩み」が指摘されていましたから、いろいろと考える部分もあったのでしょう…。
しかしながら今回の「コーチ変更」に関しては、かつての恩師である「濱田 美栄コーチ」との不仲が原因であるという見方も出ているようなのです。
本田選手が日本を去って新たなコーチへ師事することを決定したのは、濱田コーチとの「折り合い」が悪かったためなのでしょうか?
その真相に迫ってみました。
以前から不仲説があった?
調査を進めると、本田選手と濱田コーチとの不仲については、以前からも噂があったことが判明しました。
そのもっとも有力な根拠となっているのが、昨年10月に行われた「GP第2戦スケートカナダ 女子ショートプログラム」の際、思うような結果が出せなかった本田選手に対して、濱田コーチが突き放すような発言を放った件のようですね。
このときに濱田コーチが述べた内容ですが、「(スピンなど)拾えるものを拾っていないのは、きちっとした練習ができていないから。(その練習が100とすれば本田は)20ぐらい。すごく甘いから。私は(悪い結果にも)びっくりしていない」というもので、本田選手は「技術以前の意識的な部分がなっていない」と指摘する非常に厳しいものでした。
確かに本田選手に関しては「芸能活動とフィギュアという二足の草鞋」を履こうとするようなスタンスが少なからぬ批判の的となっていましたし、濱田コーチにしてみてももどかしく感じるところがあったのでしょう。
ただ、厳しい結果にうなだれている状況で、信頼するコーチから公然と「練習不足」や「意識改革」を促された本田選手の苦い胸の内は、察するに余りあります。
単純に性格が合わないといった「不仲」ではなくとも、お互いに「心が離れてしまう」といった状況は、確かに起こっていたと推測できそうですね。
ラファエル新コーチはジャンプ指導の第一人者
ともあれ、本田選手が「今のままではダメだ」という危機感を持ち、環境を変えて次のオリンピックに臨もうとしていることは確かだと思います。
まだまだ16歳と若いですから、大化けする可能性もあるでしょう。
本田選手は練習拠点を米国に移す理由について、「練習が厳しい。環境を変えて、できないことを伸ばしていきたい」と話し、今の自分に足りないものとして「ジャンプ」を挙げました。
ラファエル新コーチは、5種類の4回転を操る天才ジャンパー「ネーサン・チェン」を指導していることもあり、「ジャンプ指導」には定評のある人物です。
ある意味では濱田前コーチの「厳しい本音」がきっかけで、自身の課題が浮き彫りとなり、本田選手は渡米を決意できたのかもしれませんね。
もちろん今回の決断には様々な要因があったのでしょうか、22年北京五輪へ向け新たな一歩を踏み出した本田選手に、熱いエールを送りたいと思います!
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